藤堂様の御意見、とてもワクワクするものです。
高機能電卓に文書処理機能を付加すれば、プログラミング学習にも供されるデバイスとして普及するだらう、という意見を戴きました。
高機能化、当方も、それは嬉しいのです。
しかし、今日はガキ共もスマートフォンを持ち歩く時代。しまいにゃ、タブレットまで持ち歩いて居やがる。
スマートフォンにBluetoothキーボードを用意してやれば文書作成も十分できそうです。
また、AndroidアプリやiOSアプリには、素晴らしい計算アプリケーションが用意されている。PCで使うMaximaの様な数式処理環境まであるとか。
藤堂様からは、こんな記事も御紹介戴きました。
https://wired.jp/2017/09/14/ditch-that-fancy-scientific-calculator/
一線の科学者の記事らしい。
スマートフォンを使い、pythonとかで計算をしている、それほどまでに計算資源が潤沢となった今日、関数電卓の需要は乏しくなった、というのが主題の記事であり、その主張は正しい、と言わざるを得ない。
所が、CASIOもそうですが、TI,HPなどは、まだまだ高機能電卓を開発しております。
CASIOも、中国など海外の教員の意見などを吸い上げ、積極的にグラフ電卓を開発しております。
(件の科学者が居ると思しき)米国では、中高生にグタフ電卓を使わせているというじゃありませんか。そこまで理工教育が進んでいるアメリカならば、計算、プログラミングのリテラシイが十分普及しているので、大学生にもなったら、高機能電卓よりもスマートフォンで結果を求める方が効率が良い、という主張は、道理ではありましょうや。
CASIOのfx-FD10の例を待つでも無く、HP電卓などは、Civil Engineeringの方面でも積極的な売り込みをしておりました。一線の科学者のみが計算を必要としているのでもないのです。
ただ、こうした需要には、高機能電卓でなくても、関数電卓であれば事足りてしまう様な所もあるので、なかなか、高機能電卓の需要に結びつかないのが惜しまれる。
ただ、こうした需要を見るに、何もスマートフォンでpythonプログラミングによってのみ、という需要以外の需要はあろうか、などと。
本邦では2020年を目処に、学校教育でプログラミングを教える、という話が出ております。
プログラミングは面白いのです。プログラミング学習こそは、形を換えた「ゆとり教育」なのか、などと少し期待したいのですが、しかし、その実態となると、実にお粗末。佐賀県のヒワタリの例を観るに、使い物にならない安物のタブレットを斡旋収賄、というスキームで、プログラミング教育が進められようとしている模様。これではアカンです。
また、未だに小中学校への無線LANの普及は進んでおりません。そんな中で安物のタブレを斡旋して、どれだけ使えるのかも心許ない。
こんなお粗末な行政で大丈夫だろうか、などと思うのであります。
また、プログラミング教育、といっても、必ずしもディジタルデバイスをあてがう必要はない、とされており、Unplugged Computing/Programming という教育もあると言われております。
こうした環境、状況で、私たちは高機能電卓をどうした用途で用いるのか、その目的が問われている様な気がしてなりません。
高機能電卓に文書処理機能を付加すれば、プログラミング学習にも供されるデバイスとして普及するだらう、という意見を戴きました。
高機能化、当方も、それは嬉しいのです。
しかし、今日はガキ共もスマートフォンを持ち歩く時代。しまいにゃ、タブレットまで持ち歩いて居やがる。
スマートフォンにBluetoothキーボードを用意してやれば文書作成も十分できそうです。
また、AndroidアプリやiOSアプリには、素晴らしい計算アプリケーションが用意されている。PCで使うMaximaの様な数式処理環境まであるとか。
藤堂様からは、こんな記事も御紹介戴きました。
https://wired.jp/2017/09/14/ditch-that-fancy-scientific-calculator/
一線の科学者の記事らしい。
スマートフォンを使い、pythonとかで計算をしている、それほどまでに計算資源が潤沢となった今日、関数電卓の需要は乏しくなった、というのが主題の記事であり、その主張は正しい、と言わざるを得ない。
所が、CASIOもそうですが、TI,HPなどは、まだまだ高機能電卓を開発しております。
CASIOも、中国など海外の教員の意見などを吸い上げ、積極的にグラフ電卓を開発しております。
(件の科学者が居ると思しき)米国では、中高生にグタフ電卓を使わせているというじゃありませんか。そこまで理工教育が進んでいるアメリカならば、計算、プログラミングのリテラシイが十分普及しているので、大学生にもなったら、高機能電卓よりもスマートフォンで結果を求める方が効率が良い、という主張は、道理ではありましょうや。
CASIOのfx-FD10の例を待つでも無く、HP電卓などは、Civil Engineeringの方面でも積極的な売り込みをしておりました。一線の科学者のみが計算を必要としているのでもないのです。
ただ、こうした需要には、高機能電卓でなくても、関数電卓であれば事足りてしまう様な所もあるので、なかなか、高機能電卓の需要に結びつかないのが惜しまれる。
ただ、こうした需要を見るに、何もスマートフォンでpythonプログラミングによってのみ、という需要以外の需要はあろうか、などと。
本邦では2020年を目処に、学校教育でプログラミングを教える、という話が出ております。
プログラミングは面白いのです。プログラミング学習こそは、形を換えた「ゆとり教育」なのか、などと少し期待したいのですが、しかし、その実態となると、実にお粗末。佐賀県のヒワタリの例を観るに、使い物にならない安物のタブレットを斡旋収賄、というスキームで、プログラミング教育が進められようとしている模様。これではアカンです。
また、未だに小中学校への無線LANの普及は進んでおりません。そんな中で安物のタブレを斡旋して、どれだけ使えるのかも心許ない。
こんなお粗末な行政で大丈夫だろうか、などと思うのであります。
また、プログラミング教育、といっても、必ずしもディジタルデバイスをあてがう必要はない、とされており、Unplugged Computing/Programming という教育もあると言われております。
こうした環境、状況で、私たちは高機能電卓をどうした用途で用いるのか、その目的が問われている様な気がしてなりません。